いつしかの箱 その3

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 長田さんが学童クラブで働き始めて2、3年経つと、K君の語彙がだんだん増えてきた。

 当時、学童ではK君と同じ学年の子が4人ほどいた。障がいの度合いもみな同じくらいで、互いに仲が良く、一緒に学校へ行って、放課後は一緒に学童へ通っていた。内向的だったK君は、少しずつ意識を外に向け始める。

 K君は自分の意思を言葉にするようになってきた。「嫌だ」「あっち行きたくない」など、彼が何を伝えたいのか、長田さんもだんだんわかるようになっていった。そしてK君はまわりの友人を気にし始めた。かけっこで負けると泣く。賑やかで目立つ子のやることを真似してみる。K君は外の世界と繋がりだしたようだった。

 K君が5年生になるころ、学童の子たちと長田さんは、公園で野球をやり始めた。

 最初はただのキャッチボールだった。長田さんは野球が好きな子たちと何人かで投げ合っていた。そこへK君が寄ってくる。K君は「僕にも野球を教えて」とは言わないが、そんな面持ちで長田さんたちのもとへやって来て、キャッチボールに参加し始めたのだ。運動が不得意なK君は、まず投げ方の基本を知るところからスタートした。

 そのうち、みんなで野球そのものをやるようになっていった。長田さんは学童の子たちが楽しめるように、ルールの複雑な部分を省略した。まず「バッターは打ったら走らなきゃいけない」と伝え、「このベースに行ったら、次にこのベース、次にこのベース。で、間に合わなかったらダメ」といった言い方で、野球の大枠をつかむ。すると、ピッチャー、キャッチャー、バッターという3人がいるだけで、形になるのだった。

 野球は好評だった。とくにK君と、中学生のA君がよく参加した。(他の子たちは野球が盛り上がっていると、おもしろそうだなと思って入ってきて、盛り上がっていないときは、あまり参加しなかった。)長田さんと、K君、A君は固定メンバーとなり、K君の野球の技術はどんどん向上していった。

 野球が上達するにつれ、K君は少しずつ精神的に変わっていった。長田さんからすれば、以前のK君は「自由奔放で、柔らかくて、ファンタジックな世界をもっていた子」だったが、だんだんスポーツマンっぽい真面目な子になっていった。

 K君は長田さんの話をよく聞いて、野球のいろいろなことを吸収しようと一生懸命に努力した。打ったり投げたりするのも、緊張しながらやっている。K君のお母さんも「家では、明日も野球やるって、ずっと言ってますよ」と長田さんに教えてくれた。ただ長田さんからすれば、K君は楽しそうというより、強豪野球部の生徒のように見えていた。きちっとした態度で、自分の不出来な部分を反省している。三振をしたら絶望的になる。長田さんは内心、適当にやれば良いのに……と思っていた。とはいえ、K君が野球をやりたいのなら、どんどんやれば良い。長田さんたちの野球は続き、K君は中学校に入ってから、もっと外の世界を意識するようになった。

 野球少年になる一方で、K君の「しろなす」的な自由奔放さは、どんどん薄れていった。急に笑うことも減った。毎日K君と遊んでいた長田さんは、このK君の変わりようを冷静に見ていた。

「人ってどんどん変わっていくんだなって思いながらK君を見てました。でもそれを、昔はこうだったのに残念だなと思うのは大間違いです」

 K君の存在をまるごと受け入れている長田さんにとって、自由奔放なK君も、野球少年になったK君も、K君その人である。変化が起きたことは事実であり、長田さんはそれに関心をもってもいるが、批評するつもりはない。

「僕が話したこのエピソードに、子供は変わっていくなんて雑な結論はありません。とある一人の少年K君が変わっていって、それを見てきた僕の個人的な経験というものはあったけど、それはその子の場合だから。変わんない奴もいっぱいいましたよ。僕としては、そのさまざまな子供たちの性質が、ともかくおもしろかったのです」

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