見えないものを受け取る
長田 《ヒミツのトビラ》の後日、香瑠鼓さんの誕生日パーティーがあったじゃないですか。香瑠鼓さんを祝いに、いろんな方がここに来ましたよね。
香瑠鼓 そうですね、いっぱい来てくれました。
長田 「いろんな方」というのが、本当にいろんな方だったからびっくりしました。
香瑠鼓 そうなんですよ。すごいでしょ、うち。
長田 パーティーに行く前は、ダンス関係の人たちが集まるのかなって思っちゃったんですが、能や舞踏をやってる方々もいたし、ハンディキャップのある子たちとその親御さんもいたし。香瑠鼓さんのことを何も知らない人がパっと見ても、そこがなんの会か絶対にわからないくらい、本当に色とりどりの人たちが集まってました。
それで、「あ、香瑠鼓さんってこういう人なんだ」って思いましたね。ダンスということよりも、香瑠鼓さんの魅力にひきつけられて、みなさん集まってたんだなぁと。
香瑠鼓 私のトークショーとかに来たらものすごいですよ。トークショーのお客さんには、福祉関係の人や、脳科学の先生もいるし、スピリチュアルの大家もいるし、世界的な建築家もいるし、テレビ業界の人もいる。毎回1つのテーマに関して、いろんな人がいろんな角度から質問してくるから、面白いです。
長田 香瑠鼓さんにどんな質問をしてくるんですか。まあいろんな分野、あると思いますけど。
香瑠鼓 例えばこの前のトークショーでは、昔、公演のセットをつくってくれた建築家の男性が「香瑠鼓さんは、参加者1人ずつを受け取ってワークショップをやられてると思うんですけど、建築家は何を受け取れば良いのでしょうか」とか質問してきました。私はそれに対して「建築をする『場』の雰囲気、その場所で生まれてきた歴史みたいなものとか、住んでる人とか、そういうものをすべて受け取りましょう」みたいなことを言ったりしてます。
その彼は、30歳くらいで、モンゴルの世界的な建築コンペで1位になるような人です。彼は今、世界中を飛び回ってますよ。やっぱり見えないものを感じてないと、あんな若さでモンゴルの建築をやったりはできないですよね。
長田 香瑠鼓さんはもう、メンターみたいですね。トークショーも「見えないものを話し合う会」みたいな(笑)。
香瑠鼓 そんなこと、誰も言ってないけど(笑)。誰も言ってないけど、それにちょっと近いかもしれない。「見えないもの」って言うと、ちょっとスピリチュアルな感じになっちゃうけど。
さっき私が言った「受け取る」ことって、その人の感性によると思うんですよね。個人の自由です。
さっきの建築家の話でいうと、大切なのは、建築する場所の歴史や、そこに住んでいる人を「その場にいて体感する」ということなんですね。そうしたときに何か見えてないもの、聞こえてないものが彼のなかにフッと湧いて、ここにはこういう建築が良いんだってわかるってことです。
ちなみに、私がCMの振り付けの仕事をする場合は、クライアントに「これ(商品)を見て、振り付けしてください」って言われます。そういうとき、「これ(商品)は誰がいつ作ってどういう意味で」っていうものを下準備していって、その後に実物を見れば、そこからフッて受け取って、「ああ、こういう感じ(こういう振り付け)だな、これがベストだな」ってなるんです。
それって、物理的に言うと「振動」なんですね。物から情報がこっちに、振動として送られてくるということですね。粒子の波とか。それで私も「共振」するんです。
長田 なるほどね。これ、めっちゃくちゃ難しいですね。この前、禅問答の本とか読んだら、そういうこと書いてありました。昔からこういうことを考えている人、いっぱいいるんでしょうね。
香瑠鼓 うん。みんなやってます。ただ、うちのワークショップが簡単なのは、「固定概念をなくすメソッド」があるから、それをやってもらうんですよ。そうすると、考えずにいろんなものを受け取れるようになります。
自分の体の関節を全部感じて、「水の呼吸」っていうのをやるんですよ。そうやっているうちに、瞑想するんです。マインドフルネスとおんなじですよ。あれは呼吸に集中するけど、うちのワークショップでは体に集中して、なんにも考えなくなって……。そしたら受け取れるようになるっていうことです。
長田 そういうのが癖になってしまえば良いわけですよね。「あ、この感覚なんだ」みたいに。
香瑠鼓 そうです。メソッドをやった瞬間に全部を分析しようとするのではなくて、1回考えるのをやめて、フッ……てこう何かを受け取る、みたいな。人間って、考えるのをやめるのが大変なんですよ。
受け取り方は個人の自由なんですよね。一般の人にはちょっと、なんかわかりづらいかも……。
長田 あ、でも仰ったことはすごくわかります。「受け取る」とか「共振する」とか……。
絵本の『ヒミツのトビラ』は、いろんな世界があって、「ここはそうなのかな、ああなのかな」って男の子がトビラを開いて進んで行くっていう、それだけの話なんだけど、香瑠鼓さんは僕と同じような、想像力を感性に委ねていく「ベクトル」で絵本をダンスにしたから、結果的に「共振」したということなんでしょうね。
理由づけとかをゴチャゴチャ用意するんじゃなくて、とりあえず振動を出しちゃえば良いんでしょうね。多分、学童にいるハンディキャップのある子たちが、自分たちの感性を振動で出してくれてて、僕がそれを受け取って、『ヒミツのトビラ』という起点からダンスが生まれて……、またさらに振動が増長したのかなって思います。
香瑠鼓 そうですね、増長しました。
ミライのトビラ
香瑠鼓 9月1日に《ヒミツのトビラ》の続編として《ミライのトビラ》を公演するんですよ。
舞台《ミライのトビラ》
2019年9月1日(日)スタジオルゥにて上演。
詳細は下記サイトまで。
https://apilucky.jimdo.com/20190901/
12月15日(日)にはシリーズ第3弾《ツナガリのトビラ》を
下北沢タウンホールにて上演予定。
長田 めっちゃ楽しみです。
香瑠鼓 昼と夜とでキャストが違うんですよね。メンバーがたくさんいるから、2チームに分けちゃってます。今度の《ミライのトビラ》では、さっき言った(ダンスが褒められた)マヤちゃんが、「人間がつくる最高のAI」の役をやります。
この白黒の世界のなかに、AIが出てくるんですよ。楽しみにしてください。
マヤちゃんって、障がいのある子なんですけど、その子は人を助けることしか考えられないんですね。「悪」っていうものがないんですよ。いつも助けることしか考えてないんです。怖いくらいなんですよ。なんもないんですよ、助けること以外。
例えば、私たちの活動の一環として制作した映画があるんですけど、その映画を上映している最中に、お客さん集めのチラシ配りにみんなで行ったとき、マヤちゃん1人だけ戻ってこなかったんですよ。
マヤちゃんは、レストラン街のエスカレーターの横で、「《踊るホラーレストラン!(映画タイトル)》、上の階で上映してまーす」ってずっと叫び続けてる。1人でチラシ配ってるんですよ、30分くらい。それってすごくないですか。勇気があって。レストラン街で、ちょうど良いところ見つけても、まず私は声をかけられません。恥ずかしくて。あんなところで1人ぼっちで立って、ずっと30分間……。マヤちゃんは、本当にその映画が良いと思ったからやったんです。みんなに観てほしいから。私だって観てほしいけど、声かけられないでしょう? 3人くらいでやれたらいいけど、1人よ? 女の子が。可愛い声で一生懸命、「お願いしまーす」とか言ってやってて。私、感動しちゃって……。その子、そういう子なんですよ。私たちはいつも助けられてます。
長田 その子もこちらに通って長いんですか。
香瑠鼓 長いですね。たぶん12年くらいですね。
長田 そんなに長いんだ!
香瑠鼓 今、25歳くらいだと思いますね。中学生のときから来てました。
長田 なるほど。
完璧なものはない
長田 「共振」については、今日すぐピンときましたね。
香瑠鼓 わかりやすいでしょう。
長田 言語化できないものってありますよね。例えば「明日頑張れ」って言われるよりも、「共振」だけのほうが勇気湧くんじゃないかなと思いました。
この対談第1回目の加藤久仁生さんも、「感性の振動」って意味だったら、絶対僕たちと合うと思います。良い意味で観る人を「不安定」にさせるというか、「ああ、この映画良かったね」とは簡単に言わせないくらいの作品をつくる人です。本当に、これが芸術なんだなって思いますよ。良い意味での「不安定」って、「非日常」ってことなのかな?
香瑠鼓 「安定」なんて本当はないのに、多くの人は「自分は安定している/安定したい」と思っちゃうんです。だからさっき言ったワークショップで「即興のダンスって何をしたら良いんでしょう」みたいになっちゃう。なんかすれば安定すると思ってるんだけど、そんなのないんだよね。「安定」はないんだけど、「安心できる体」っていうものを自分で体感すれば、全然怖いものはないのに。そうしたら、自分が周りと繋がっているという意識ももてるようになるんですよ。
長田 じゃあ不安定なんだぞと(笑)。
香瑠鼓 うーん、不安定? 難しいな。不安定なんだけど……。私がよく企業の方向けに出張ワークショップで言うのは「時の概念」ですね。
例えば、企業としての対策を3年前に考えても、3年後にはその対策は古くなるじゃないですか。だから「時の概念」があるかぎり、完璧なものってないわけですよ。それを立証するんですね、私は。
「過去のある時点」での完璧って、「今」にとっては古い。「今時点」の完璧は、「未来のある時点」にとっては古い。だから、絶えず完璧を求めるんだったら、瞬間瞬間に完璧になっていく必要があるはずなんですが、それはベストチョイスしていくってことだけなんです。
「時」をもう少し感じたほうが良いんですね。そうすると恐れや不安定というものがあったとしても、それより先に「永遠に完璧なものはないから、どうでも良いんだ」って思えるんです。
長田 《ヒミツのトビラ》で即興パフォーマンスが多いのは、それも関係してるんですか。
香瑠鼓 もちろん。ここでいう即興は、その瞬間に、障がいのある人たちが何かをやることですよね。そのとき、それ(即興パフォーマンス)が「一番良い」と思えるように、私たちがものの見方を変えるんですよ。「これはダメだ」って思っていることは、実はすごく面白いことなんだよってひっくり返すんですよ。そうしたときにパフォーマンスへの拍手が湧きますね。そうしたときに、愛が生まれるんですよ。
自分のものの見方を変えることは、実は助けようという気持ちであり、愛なんですね。逆に言うと、障がいのある人からも愛を受け取れるんですよ。障がいのある人たちの存在というのは、愛を生む存在でもあるわけですね。だからそういう人たちは「必要」というか、「素晴らしい」んですよ。そこを「できない」とか「わかんない」「完璧じゃない」って見ると、ダメなものになっちゃうんですよ。ダメじゃないです、全然。「ダメ」ってものはないから。さっき言ったみたいに、時の概念をもとにすれば「完璧なものはない」って思えます。
長田 「通常」の、いわゆる「生活」っていうところで「ハンディキャップ」って言われてるだけですもんね。
香瑠鼓 そうそうそう。障がいのある人たちが生活しづらいのは現実問題だから、そこをすっ飛ばして言ったら申し訳ないけど……。大変だと思いますけど、こういうふうに、私が言ったり書いたりするときは、私なりに、障がいのある人たちのことを視野に入れますね。そうすると、逆に光が見えたって言っていただけるときもあり、ありがたいです。
長田 はい。話を聞いていると、僕自身、障がいなどの視点を超えて、表現のいろいろな視点を見つけるきっかけになりました。《ヒミツのトビラ》の舞台、第2弾、3弾、引き続き楽しみにしていますね。
(了)