自分の考えたことが、本当に自分自身が導き出したものか紐解く訓練は必要だと思う。思いもよらない形でというヤツが自分に忍び込んでいる可能性があるからだ。
攻め方は学んだほうがいい。だが、 はもっと熱心に学んだほうがいい。と、は逃げながら言っていましたよ、先生。捕まえにいきましょうか? 僕が。
昔から、 と行動を煽るセリフがある。その元をたどれば、男として産まれたからには闘うことがすべてなのだ、とか、立ち向かうことが男の宿命なのだ、とか色々と意味づけがされているからなのだとか。ほかにも女の涙とか、ま、たぶんたくさんあるでしょう。もっと増えればいい。もっともっと増えていって、あまりの制約の多さに、みんなが「どーでもいいよね、もう」となればいい。
でもひるがえって、そんなこと考えているヒマさえないよね、という現実。
あれ? これはもしや、いちいち気にしてる場合じゃないのでは? もう21世紀ですよ。忙しくってしょうがないんですよ。もうすでに「 」なんじゃないかナ、今は。
いいバランスで熱中と倦厭を繰り返すことができれば、それはそれはきっと心地よいことだろう。
とは一体何だろう、これが最近の僕のテーマであり疑問です。
(続く……)