というものに関する一覧表、あるいは辞書的なものが売られているなら、僕は迷わず買うだろう。きっとそんなに高値なものではないはずだから。

 勝ち好き、負けず嫌い、負け好き、勝ち嫌い。いずれもそれぞれの苦悩が伺える。でも、あまり “引き分け好き” というのは見たことがない。もうすべては運まかせ、天まかせ、神まかせというのもアリだな。そもそもがという人だっているだろうネ。

 自分で自分を受け入れたり認めたりするのは結構なことだが、決して開き直ってはいけない。

 世の中にはという、「ケア」(手入れ、気配り)の「レス」(〜ない)という特別なミスの名前がある。
 ケアレスミスは自分の複雑さ、愚かさを表しているのではない……と思う。実は人の名前だったりして。という人がいるんじゃないかナ、ミス界の父、ミスを愛し、ミスに囚われた……。

 ケアレ・スミスさんはどんな人? きっとやさしい、ちょっとズルい、けれど人を騙せるほどじゃないハズだ。そしてまず完璧主義者ではないはずだ。だってミスをするのだから……。おそらくは、楽しくミスをして、それも大きな致命的なミスじゃなく、小さく小さく、少しずつたくさんミスを犯しているのだと思う。そうであってほしいナ。

 スミスさんのミスはどんなミスだろう、牛乳を高価なジュータンにこぼしてしまうのかな、いや、そういう、いかにもというようなものじゃないのかも。さて、なにかな? あんまり周りに迷惑がかからない程度の、ちょうどいいミスを、まさにケアレスミスを僕も楽しんでみたいナ。
  ケアレさん、あなたもそう思うでしょ?

 21世紀はというものがない、というのを全世界が目標にして ことを、誇りに持っていけたらいいんじゃないかナ。

(続く……