絵本作家 長田真作による対談企画
「あっけらカント −ぼんやり てつがくする おしゃべり−」。
言葉にできずにいた ぼんやりとした思いを
おしゃべりしながら 見つけていきます。
対談第4回目のゲストは、小説家・小山田浩子さん。
プロフィール
長田真作
1989年、広島県呉市生まれ。多数の絵本を手がける。著書に『ピラニアくん』(あすなろ書房、2023年)『しろたえのおか』(東急エージェンシー、2023年11月予定)など。2023年現在、東京在住。
小山田浩子
1983年、広島県広島市生まれ。2010年「工場」で新潮新人賞を受賞してデビュー。2013年、同作を収録した単行本『工場』(新潮社)が三島由紀夫賞候補となる。同書で織田作之助賞受賞。2014年、「穴」で第150回芥川龍之介賞受賞。他の著書に『穴』『庭』『小島』(いずれも新潮社)『パイプの中のかえる』(twililight)がある。
今回のゲストは小説家の小山田浩子さんです。小山田さんは広島在住の作家さん。今回の対談は広島市現代美術館のカフェ KAZE で行われました。広島出身のお2人から、どんなお話が聞けるのでしょうか……。
長田 今日はありがとうございます。
小山田 こちらこそ。まずなぜ私をご指名くださったのか伺いたくて。
長田 僕、広島県福山にある本屋さん(UNLEARN)のロゴを手がけたんですけど、店主の田中さんって僕の父親と高校の同級生なんです。それで田中さんが父親に「今は小山田さんっていう小説家が一押しなんじゃ」って言った話を聞いて、僕も父も小山田さんのことは知ってたんですけど、改めて読んでこれは本当に面白いなと思って。
僕の勝手な見解ですけど、小山田さんの小説はだいぶ僕に似てるなと。
小山田 ハハハハハ。
長田 物語のジャンル云々じゃなくて、追求しようとしてるところに親近感をもちました。たとえば『穴』とかエッセイとか。
長田 『穴』は何回も何回も読んでます。僕は好きな場面を読むために他のページを読むという読み方をしてるんですよ。「この場面が好き!」ってポイントがある作品ってそう多くないんですよね。
小山田 それは光栄なことで恐れ入ります。ありがとうございます。ちなみにどのあたりでしょうか。
長田 まず序盤、主人公が黒い獣を追いかけて川縁に行く、穴に落ちる、中年の女性に助けてもらう……あそこがやめられないですね。一連の流れがとても独特で、積み重なっていく謎が面白いです。もう1つは主人公がコンビニのATMでお金をおろそうとするシーン。まわりに子供たちがガヤガヤいて、急に出てきたおじさんがその子たちをたしなめるというか……。
小山田 追い払おうと。
長田 はい、あそこ好きです。子供たちの勝手気ままな感じ、たまんなく好きです。小山田さん自身がここが肝だと思ったところとは違うかもしれないですけど、僕としてはそれらの場面が刺さって、他の前後のストーリーは引き立て役みたいな感じで読んでます。
小山田 それは良かった。嬉しいですね、ありがとうございます。
即興と調整
長田 広島出身の表現者である方とお話ししてみたいなというのは、もともとありました。小山田さんはずっと広島県にお住まいですよね。
小山田 はい、私、広島を出たことが本当になくて。その感覚はたぶん作品にも出てるのかなって気がしますね。ちなみにインタビューを拝見しましたけど、長田さんは高校卒業後、進学とか就職とか、明確なものがなく上京されたんですよね。
長田 そうですね。親だったら絶対心配しますよね(笑)。
小山田 せめて職や進学先ぐらいは言っていけ、みたいな気持ちになりますよね。
長田 そうですね(笑)。
僕は自分の作品のキャラクターが僕自身の投影であるときもあって、この子どうなっちゃうんだろうって探りながら作っていくのがすごく好きなんですよ。自分を不安定なところにもっていくことが面白いかもしれないよって感覚がないと描かないです。基本的に、構成を決めずに描き始めますね。
小山田 絵本って、最後まできっちり決めてから描く方も結構いらっしゃるんですか。
長田 それが大半じゃないですかね。ラフの段階で編集の人と一緒に構成を決めて「中盤弱いね」とかやったり。で、絵を変えたり。それを繰り返して完成度の高いものを作っていくのが多いみたいです。でも僕はラフさえないですね。それがいいわけでもないですが。
僕は普段、原画と原稿(文章)という2つを描いて、それをデザイナーさんにドッキングしてもらってます。だからその2つが編集者の手に渡ると僕の手元には何もなくなるんですよ。あとから「グッズ用の絵を描き下ろしてください」って言われても素材がないから、あのキャラクターってどういう顔してたっけって思って編集部に写真を送ってもらったりして。「え? 素材ないんですか?」なんて言われて「いやぁすいません」っていう。絵本を描くことはジャズの即興みたいな感じですね。あと描いてるときは、表紙から描くときもあるし終盤から描くときもあります。
でも小山田さんもエッセイのなかで、わりと即興で書いてらっしゃるってあって、びっくりしました。
小山田 書くのは即興ですね。ただ直します。絵はデジタルでない限り、線を引いちゃったら消したってゼロにはならないところが絶対あると思うんですけど、文章はいくらでも切り貼りができるし、入れ替えて1個前に戻して……とかもいくらでもできるので直します。でも最初の本当の自分的な第1稿みたいなところは、完全に何も考えずに書きます。どうなるかわかっているものを書くのがすごく苦痛なんですよね。
長田 わかります。
小山田 たとえば、ある2人が出会って現代美術館に行くって書きたいとして、エッセイならいいんですけど小説でやろうとすると、現代美術館に行くことが決まっているにもかかわらずそうなる流れが全然わからなくて。どうせ現美に行くんだろうって思ってしまうとモチベーションがわからなくなってしまうというか。なのでできれば書きながら、え、現美に行くの? ってびっくりしたいと思いながらやっています。
私の場合、自分が書いた文章だけ見ていたい。青写真とかプランを考えたくないんですよね。1文のことしか考えたくないというか。それでどこまで遠くにいけるかっていうのが大事で、間違っていると途中で書けなくなるんですよね。
小山田 書けないというか、今書いていることが急に全部嘘に見えるときがあって、そうなったらもう何をやってもダメなので、それを1回全部捨ててまた一言目から書き始める。そのときに、さっきのは「私」で始めたけど「僕」じゃなきゃダメだったのかもとか、1日前から始めなきゃだったのかもとか、その日の夜の回想として始めなきゃいけなかったのかもとか、ですますじゃなきゃダメだったのかもとか、いろんなのを全部片端から試していって、呼吸が合っているものが見つかると、ビャーッといけるんですよ。
ビャーッといくのはいつも1日です。私は『穴』以降、短いものしか書いていないので、1日で全部書きます。一息でいくところまでいって、そのあと、いったものをどうしようかなと読み返しながら永遠に直していくっていう感じですね。「即興的な」というところでは、長田さんとすごく似ているところがあるのかもしれないですね。
長田 そうなんですか。直す時間のほうが圧倒的に長いですか。
小山田 ものによりますけどね。書くのは1日なんですよ、どんなものでも。『工場』『穴』は無理でしたけど。
私が書くのは基本短編で、短編だと長くても原稿用紙60枚や100枚(2万4000~4万字)とか。今は30枚ぐらいが多いかな。これだったら1日です。ただし1行目に至るまでに何日もかかって、いっぱい書いたけど出来高ゼロみたいな日が何日かあって、急にパッといけるときが来ます。
こんな言うとあれですけど直すのは納期次第ですね。2週間あるなら2週間、1日しかないなら1日で直すってことです。もう十分直したこれ最高、と思ったらもちろん納期の何日前でも送りますが。
ただ「即興」っておっしゃいましたけど、絵本ってページ数が決まってますよね。
長田 まあ決まってますね。やっぱり製本上、なんとなく8とか16の倍数で決まってます。
小山田 本来32ページのつもりだったけど、すごく少ないとか多くなることはあんまりないですか。
長田 いや、僕の場合いっぱいあります。32ページでやらなきゃならないのに40ページになっちゃったりとか。やっぱり24ページ、32ページが一番オーソドックスだし価格の設定も容易なわけですが、僕としてはそこにも縛られないで良いものを作りたいっていうのが一応あるんです。ページ数を先に設定しても、どうしても入れたい一場面みたいなものが入らないことはよくあって、そこはもう出版社への説得になります。「これが根幹ですよ、この4見開き(8ページ)がなかったらこの作品ないようなもんです」みたいに。
僕以外の作家の人たちの多くは、ページ数を設定してラフとかも全部仕上げるから、伸びたり縮んだりしないと聞いています。でも僕は一発本番でやるスリルで自分の爆発力を試したいところがあって、それぞれの作品で「何か」を発見したいなと思ってます。その「何か」を探りながら描いていきます。
小山田 あ、自分で描きながら。
長田 はい、自分自身に対してもそうですし、文体、絵のタッチ、構図も含めて「え、こんなのできちゃったんだ」って自分がまず驚かないと、作品としては弱い。それで自分自身がびっくりしたら編集者も大抵はびっくりしてくれるんで大体いけるんですよね。ページ数の変動もよくある話で、でもひらめいてしまったものはしょうがないので、「あー、えーっと、あの……ちょっと4見開き増えちゃいました」って言うと、編集の人も「そこはちょっと上と相談してきます……」みたいな感じになります。でも、作品にとってはその増えた場面がどうしても必要不可欠なんです。
小山田 私もデビューしてしばらくして、書けない時期があって、編集の人に「書けないならプロットを先に相談しましょう」とか言われてました。でもダメだったんですよ。向こうは良かれと思って提案してくれるんですよね。「あらすじだけでも」とか「登場人物だけでも」って一生懸命言ってくださって。
そういうことって、できる人にとっては普通にできることだと思うんですけど、私にはあんまり……。エンタメと言われる作品か純文学と呼ばれる作品かとか、あとはもう個々人によって、したりしなかったりだと思うんですけど、私は先に決めとくのが本当にダメなんです。本当に嫌で嫌で。書けない時期とかも、それしようと思いすぎて逆に書けなくなったり。ただ今は発注する側も、そういうことはあいつに言ってもダメだなってわかってくれたので、全部思うように書いてます。
私の小説は基本的に最初は雑誌に載ります。原稿用紙何枚っていう制約があるんですけど、不思議なことに、私はわりとそこは逸脱しないんです。「50枚」って言われたら、まあ55枚ぐらいにはなっても80とかにはならないし、55枚をなんとか削って削って50にしようと時間の許す限り努力して、52枚くらいにはなって、それでも削りすぎてダメになったとは思わないラインにどうにか着地するので。なんかそれは不思議やなっていうか。自分の思ったような長さに自然となるところはありますね。雑誌なんかもちょっとタイトめに組んでもらったら入りますし。
長田 なるほど、8割くらい僕と同じスタンスなんですね。ただページ数を守れてるところが圧倒的に違いますね。
小山田 悔しいんですよね、調整できなかったんだーってなるのが嫌で。小説の場合はさっきも言ったように、絵と違っていくらでも直したり戻せたりする。直せば直すほど良くなるんですよ、文章っていうのは。良くしかならないし、違ったと思ったら消せばいい。
料理の場合、カレー粉を入れちゃったらカレー粉を取り出せない。でも小説は手書きだった時代とは違って、今はワープロなりパソコンなりで、いくら逡巡してもきれいに戻せます。私の場合、直すことは頑張って書いたご褒美みたいなものですね。
長田 そう考えたら絵は料理みたいなものですね。デジタルの絵の場合は違うかもしれませんが。
小山田 デジタルはたぶん感覚がだいぶ違うでしょうね。
呉と広島が背負うもの
長田 僕は呉市出身で、子供の頃は旧海軍墓地が公園になったところとかでも遊んでました。そこは半分が青山霊園みたいなもので、戦没者の慰霊碑とかお墓ばかりです。8月の週末とかには慰霊祭みたいなものがあるんですが、そこで友達と野球とかして遊んでいました。思えばすごい公園で遊んでたなって感じです。あと小学校のときにソフトボールの大会をした場所は、海軍が銃の発砲を練習してた元練兵場でした。
長田 当時は普通のことでしたけど、特殊な場所だったんだなって東京に行ってから思うようになりました。小山田さんはずっと広島にお住まいということですが、広島市内ですか。
小山田 はい。なんですけど、市内では一番田舎のほうですね。いわゆる、そごうとかパルコとかがある繁華街や、広島駅とかの近くじゃないです。
「広島出身」がとっかかりで、「広島について書いてください」「カープ優勝について書いてください」とか、そういうのはやっぱ地方に住んでるととくにありますね。
生まれも育ちも親の故郷も広島なので、広島が世界だと思って生きてるじゃないですか。ほんで仕事で海外に行って「広島です」って言うときに、やっぱアジアの方から欧米の方からみんな、「あ、ヒロシマか」みたいな反応がちょっとありますね。歴史の年表の1点としてのヒロシマみたいな。もし日本の違う都市の名前を言っても、たぶんこうはならないんだろうなと思います。向こうが何を言うのでもなく負わされてる感じはしますよね。私があまりすっとこどっこいなことを言うと、ヒロシマから来たのにって、たぶん向こうは無意識に思いますよね。原爆と文学がどうかみたいなことを聞かれることもあるし。
ただ私は別に広島を選んで生まれたわけでもない。たまたまじゃないですか、すべては。そういうのでヒロシマかっていう……。嫌なことじゃないけど。それで緊張したり困惑することはあります。