広島東洋カープ
長田 最近、カープの調子がいいですね。
広島東洋カープ:セ・リーグ所属の野球球団。広島市民球場(現・マツダスタジアム)を本拠地とする。戦後の広島に希望をもたらしたいという思いから、広島市、広島県など自治体の出資によって1950年に誕生。市民、県民からの募金等によって財政難を乗り越えてきた歴史をもつ。チームカラーは赤。
小山田 カープお好きなんですか?
長田 もう命ですね。僕、もともと野球やってましたし。でもマツダスタジアムではまだ観戦してないんですよ。広島市民球場には上京する前まで行きました。
(注:マツダスタジアムは2009年竣工で、それ以前は広島市民球場がカープの本拠地。)
あそこ(市民球場)の椅子はいい感じに小汚い……。
小山田 固い、せっまい(笑)。
長田 そうそう。急な階段を、手に持つカープラーメンをこぼさないようにのぼったりして。
ピッチャー佐々岡、キャッチャー西山、ファーストはロペス、サード野村みたいな、なかなか渋いメンツの時代が僕の幼少期です。カープ帽子もかぶってました。小山田さんはどうですか。
小山田 私、実は今カープってわりと見てなくて。最初にリーグ優勝したじゃないですか(2016年)。その前から「カープ女子」とか急にマスコミが全国で言い出して、他県の球場が赤く染まっているぞみたいなことをローカルニュースがピャァピャァ言い出して、優勝実際して……ぐらいで急にどうでもよくなってしまったことがあって。
あと優勝したけど絶対日本一になれない感じがしたじゃないですか。あとまあ、変な話、自分が生きているうちにカープが優勝するって思ってないくらいの感じが若干あったけど、あ、するんじゃーと思って。ほんで日本一にならんのやーっていう、なんとなくそれがあったのと……。
コロナがあったときにスポーツって結構岐路に立たされましたよね、やるのかやらないのかとか。それでプロ野球選手が優先的に検査を受けられる時期があったじゃないですか。そのときになんとなく、広島で一番頑強な男たちを優先して検査して野球をさせて見せ物にすることは本当に正義なんだろうか、みたいな疑問が湧いてきて。
とくに東京オリンピックをやるだ、やらないだになって、スポーツとナショナリズムとか、地元が大事みたいな気持ちが来るのって結局まあ代替戦争だしなみたいな気持ちがあって、妙に白々しい気持ちでカープを見始めて……。最後にマツダスタジアムで見たのはいつかな、何年も球場に行って見てないです。
ただ優勝したときは家で泣きました。夫は広島出身じゃなくて昔からのカープファンではないので、当時私がさぞ喜ぶだろうと思ってビールとかを用意して「お祝いしようぜ」とか言ってたんですけど、私は感動しすぎて「わーい」ってならなくて、1人で黙って紙をちぎって紙吹雪を作って、部屋が散らからないように小さく撒いたりするおかしな精神状況になってました。優勝した瞬間、窓開けたら近所から「うぉー」って雄叫びも聞こえてきましたね。
っていうのがピークで、そこから興味度がシューンってなってます。今、「新井が監督」って言われてもって気持ちが若干あって……。嫌いとかじゃないんですが、世代が変わったんだなーと。
(注:2023年現在、カープの監督は新井貴浩氏。新井氏は2016年の優勝時、選手として活躍した。)
長田 なるほど、僕はまったく逆です。「カープ女子」が話題になったときは同じように僕も拗ねてましたけど。
缶ビール持った口調の荒いカープおっさんがいっぱいいて、万年Bクラスで勝てない、結構粒揃いだけどいつも5位、6位の小競り合いみたいなことやっている、あの全体像がすごく好きだったんですよ。弱いから応援したくなるんだって、子供ながらに思ってました。僕が所属している少年野球チームもまーぁ弱かったんですよ。もう愛すべき弱さ。
それで、おっしゃる通り「カープ女子」とかはなんか違うな、僕のカープではないと思って。強くなったら強くなったで喜ぶ人もいると思うんですけどね。
でも僕は今、新井が監督になってカープや野球チームというものがちょっと新しい形になった気がしているんです。「あの人が監督になったからって別に……」って感じが僕は逆に好きなんですよ。新井監督って、僕の見立てでは「まあ好きにやりなさい君ら」って言うようなタイプの新しい監督なんですよ。岡田監督(阪神)もたぶんその方針だと思うんですよね。「君ら元気に打ってこい」みたいな。
小山田 元気に(笑)。
長田 「もう君たちどうせ上手いんだから、まあ行ってみなさい」みたいな。なんとなくですが、ゆるやかな空気を感じます。で、打ったら褒めてくれるし。新井監督に対しては選手時代から、絶対あの人いい人だよね、監督になったらいいなって思ってました。だから今、全力で応援してます。一昔前の高校野球のような、監督が選手に向かって「俺が勝たせてやる」みたいに言う感じが大っ嫌いなんで。
小山田 ああ、なるほど。
長田 僕の少年野球の監督はそういう感じだったんですよ。「俺が勝ちに導いてやるんだよ」って感じ。でも、いやいや、あなたはバッターボックスすら立たないでしょ? って思います(笑)。
ちなみに当時はうちの父親がコーチだったんですけど、「あの監督の『勝たせてやる』ってやつ、気になるな」って僕にこぼしたりして。そのあたりの違和感って、父親から受け継がれたところもありますね。
ただまあカープって、人によって応援に対する概念が違いますよね。
小山田 確かに。昔だったら盤石で「俺たちのカープ、わしらのカープ」っていうのがあったけど、今は本当に色々ですね。それこそ「推し」みたいな概念の人もいますしね。
カオス
長田 小山田さんのインタビューを読ませていただいたんですけど、僕もバルガス=リョサの『緑の家』大好きです。
小山田 ほんとですか!?
長田 僕、ラテンアメリカ文学が大好きなんですよ。もうあの狂ってる、安定してない、おかしいというか、ある種カオスみたいなものに対して、とても興味があるんですよね。
広島ってものも、そこに1度立たされた、カオスを経験したところだと思ってます。やっぱり第2次世界大戦のあのレベルの衝撃を人為的に与えられたところって、広島と長崎の他に絶対ないから。あそこからずっと、少しずつ戻ろう戻ろう復活しよう復活しようっていうのが、たぶん地場にあるんだろうと思います。
でもたぶんまだ復活できてないんですよ。だってあの被害を受けてまだ60年、70年。たぶん難しいと思うんですよね。土地に草が生えたとか立派なビルが建ったとかだけでは足りない。「真っ黒い何か」みたいなものが落とされて、それを僕みたいな3世っていうか子々孫々が雰囲気として感じちゃうような、何か「影」が落ちちゃったんだろうな。誰を恨むとかのレベルの話じゃなくて、1回本当に死滅しかけたという感覚が僕にはすごくあります。
それでラテンアメリカ文学っていうのは、欧米からの侵略も含めてちょっと同じ「死の匂い」がするなって思うんです。死が近すぎてヒューマニズムを超えている。ガルシア=マルケスの小説とかも、どんどん人が死んでますし。でもあんまり人間を中心に描いてないから、そのへんが「影」を背負った者からすると勇気づけられる。人間を中心に考えると苦しくなっちゃうというか重たくなっちゃいますから。いいな、ラテンアメリカ! って思いながら読みますね。
小山田さんの小説からもそういうものを感じます。ラテンアメリカ文学とはジャンルが違うかもしれないですけど。
小山田 ラテンアメリカ文学的な人間中心じゃないってところを読んでいると、逆にわれわれはなんで文学でも絵本でも、人間が説明できて辻褄が合うものだと思ってるんだろうって気づかされるところがすごくありますね。みんな、なんでも説明できると思っていて理由があって上手いこといくって思いすぎなんですよ。でも実際に生きていたら、世界っていうものは本当は基本的にはめちゃくちゃなものですよね。
たとえば今、カフェでコーヒー飲んでますけど、このメニューに誰が焙煎したか書いてあるじゃないですか、そんな、誰が焙煎したか書いてあるコーヒーが出てきて飲んでいることも、本当はおかしなことだと思うんですよ、いろんな意味で。日本とは違う気候風土の、遠い土地で育つ木の実を乾かしたり焙煎したり砕いたりっていうめんどくさい手順で飲み物にして、まるで一番無難な飲み物みたいな顔して日常的に飲んでるってこと自体狂ってるじゃないですか、本当は。コーヒー1杯飲むにしても、そういうめちゃくちゃなことが起こってるんだけど、そのめちゃくちゃさを生きていくためには、みんなそれを意識の外に追いやらないとおかしくなるしコミュニケーションが成立しなくなる。
けど文学とか絵本とか創作って、そこを、狂っていることをちゃんと書けるはずなんです。スーパーの店員さんとかが仕事中にその狂いに取り憑かれたらまずいかもしれない、でも創作している最中の人は何したっていいんだからそうすればいい。たぶんみんな、なぜ今これを書いたのか説明できて、意味がわかるものだって思いすぎなんですよね、読み手も作り手も。なのでそこに対して、自分はそうじゃないと思って書いてるところがすごくあります。
『穴』についても「小説に登場する獣は幻想ですか」「異界の入り口が穴ですか」とか言われるけど、いや現実はそうじゃないのか、穴に気づいていないだけで毎日そこらにいっぱい開いてるじゃないか、みたいなのを一生懸命書いてるところがあって。
みんななんか世界を信じすぎだという思いがすごくありますね。とくに広島はさっきおっしゃったようにめちゃくちゃなことになって、たぶん向き合っていられなかった時期があったと思います。そこに向き合ってると実質生きていけないから。
原爆ドームってぐちゃぐちゃになって骨格だけ残って、今、保全されてシンボルですけど、あれをどうするかという議論がされた時期があったんです。
原爆ドーム:1966年、広島市議会が保全を決議。1989〜90、2002〜03、2015〜16、2020〜21年にも補修が行われている。
小山田 最初はみんな生活にいっぱいいっぱいだから、モニュメントとして残すことを考える余裕はない。あそこで鉄屑拾ってきたり、子どもが乗って遊んだり、中に鳥がめっちゃ巣を作ってボロボロになったり、みっともないからもうあれ片付けようやみたいな声も上がったなかで、いろんな政治家だったり市民とかが保全しようって決めた。あれ、結構すごい技術で保全されてるらしいんですよね。最新技術だった透明な樹脂みたいなものを染み込ませて強くしてます。
今はああなってるけど、当時の人からしたらあんなもの邪魔だし危ないから早く壊してくれ、見てるだけで気が滅入るわみたいな気持ちは、なんか現実としてすごく理解できるじゃないですか。今われわれは何十年経ってるから、あれを見て「平和を」とか思っていられるけど、そんぐらいのことがあって現実を直視し続けてたらみんな生きていけなかったから、どっか広島の人は見ないようにしてたはずだと思うんですよね。とくに直に生き残った人とか、生き残った人の肉親とか。
私、カープはそれを担わされている感があると思ってます。被爆者の方とお会いしてお話しした機会があったときにカープの話になったんですけど、「カープは泥の中に咲いたハスの花みたいだった、仏様みたいに見えた。私たちはみんなあれを希望の光だと思ってやってきたのよ」みたいなことを本当に実感を込めておっしゃってました。被爆者の方はそれでいいと思うんですよ。ぐちゃぐちゃの泥の中にハスの花あって、カープ応援しようって。
でもわれわれの世代もそれでいいのか、と。考えることがもっとある。
長田 そうですね。
小山田 直に傷ついたわけじゃない、復興したあとに生まれてきた人間は、そういう大事なものを見ずにカープを応援したり、折り鶴やたら折ったりしてるだけでほんまにいいのかっていう違和感みたいなのがずっとあって。
エッセイにも書いたんですけど、広島って選挙の投票率めちゃめちゃ低いんですよね。近年は全国平均を下回ってます。でも本当に平和のことをわれわれが学習してきて身に染みているのなら、カープに平和を仮託して応援しているのなら、まず投票率とかが高くないと辻褄が合わないじゃないですか。われわれが学んできた平和って一体なんなんだろうかってよく思います。
広島にいると8月6日の「86(ハチロク)特番」とかがあって、テレビもローカル局全部「86」になるし、新聞もすごい特集が組まれたりしますけど、そういうときって、たとえば高校生平和大使みたいなのが取材されてるわけですよ。「世界の核兵器廃絶会議に参加した広島の高校生がスピーチをしました」みたいな。
でもこんなんできるのは一握りの人じゃないですか。行動力も、経済的、時間的な余裕という意味でも、みんながみんなそこにリソースを割けるわけじゃない。けど投票権は多くの人が持っている。投票率低いのをスルーして、いろんなローカルメディアも広島市民も「86」や「平和学習」をこの時期だけやってるっていうのがマジで気持ちが悪いと最近思ってますね。投票行かないんですよ広島の人は。半分も行かない。
長田 僕それ知らなかったです。そうだったんですね。
小山田 私、本当に意味がわからないなと思って。広島は投票率高くてもおかしくないじゃないですか。
広島はやっぱ「落とされた」っていう被害者的立場ですよね。当時の広島の一般市民の人はそれはもう圧倒的被害者でそれは動かないんですけど、日本の戦争っていう大局から見るとたくさん問題があったわけですよね。アジアでやったこともそうやし、原爆を落とされないようにもっと早く戦争を畳むこともたぶんできた、機会はいっぱいあったけど全部そこをスルーして……そういうところが完全にすっぽ抜けてるじゃないですか平和教育で。
当時の一般市民は、女性にはたとえば選挙権がないし、今とは違って報道だったり意思の表示の仕方も非常に限られていたと思うし、新聞とラジオの言うことしか知ることができない状況の人たちが被害者でした。そういう状況と今のわれわれは同じにはできないですよね。1人1票選挙権だってあるし、いろんなことを学ぶこともできるわけです。被爆者の方とかはもちろん、いろんな活動している若い方とかもいてすごいなと思うけど、大多数のいわば「平凡な」私たちにそういうことを学ばせなかったのは誰なんだろうとか、学んでこなかったのは誰なんだろうとかは、すごく疑問に思います。だからカープが勝っても……って思いがすっごくあって。
長田 なるほど。
「8月6日」のテンプレート化と風化
小山田 たまたま今年ちょっと思うところがあって、8月5日に平和記念公園に行ったんですよ。そしたら5日からもいろんな人が入って、いろんなイベントやったり慰霊祭やったりしてるんですね。
公園の中に原爆供養塔、「土饅頭」って言われてるところがあって、そこには今も引き取り手のない遺骨がものすごくいっぱい収められています。その前にも祭壇とかが作られてみんなお参りしてるんですけど、被爆者の方って別に仏教徒とかに限らないから、いろんな宗教の人が順番に慰霊しに来るんですって。
で、入れ替わり立ち替わり、ダライ・ラマみたいな黄色い衣を着た人たちが来て祈って、次はいわゆる日本のお坊さんらしい衣の人たちが来て、次は太鼓叩いて……って祈っておられるわけですよ。もちろんそれぞれ敬虔な祈りだし、みんなすごく真摯なものだし、ものによってはカメラが来たり信者の人がたくさん来たりもしてました。それから韓国人慰霊碑のところで韓国の方々が集まって式典があって、民族衣装の女性たちが慰霊の踊りを踊ってらしたりとか。別のところではハンガーストライキやってたり、座り込みされてる人もいるし、マスコミがいたりとか。そんな世界、知らなかったなと思って。
それまでテレビで見る「8月6日」は決まったカメラアングルで、決まって市長や知事、各国の準首脳、暑そうな被爆者の方々とかが映るって感じですよね。けど、あ、そうか、こういうことにもなってたんや全然知らないことがあるなと思った。ちょっと印象的でした。今までテレビと新聞の切り取ったやつしか見てなかったなって思います。
長田 それ見たら、なんだこれってなっちゃいますよね。異様な光景なんだろうな。テレビで見るやつって、だいたい選ばれた少年が宣誓の言葉とか立派なことを言ってるようなものですよね。
小山田 鳩が飛び立つ音とね。鳩に罪はないけど「なんなんだ鳩?」って思いますからね、本当に。
長田 そこらへんの象徴(鳩)も含めてわりとテンプレート化してますよね。わかりやすくなって、あんまり誠実さを感じなくなってきた。いろんな宗教の人たちが祈っている今の話のほうが、被爆者や祈る側の背景が見えてくるじゃないですか。
毎年ありえないほどの数の千羽鶴が平和公園に納められますよね。まあ、来る人や見る人にわかりやすくしたいんでしょうけど……。平和への祈り方なんて人それぞれでしょって。なんだかなぁ。
平和記念公園の「原爆の子の像」に捧げられた折り鶴を再生紙として利用した紙(この紙のうちの約20%が再生紙)
小山田 折り鶴も、子供にやらせることが他にないからって、やらせてるだけでしょう。でも本当はそんなことないと思うんですよ。それこそ政治教育なのか、投票行こうみたいなこととか。今の日本の学校でやったら絶対怒られるけど、今どの政党がどういうことを軍事に対して思って主張してるんだろうとか、そういうことです。
広島の人、保育園児から鶴折れたりするけど、鶴が折れるのって本当に必要な技能かっていうことですよ。私の中高生のときの学校で「平和学習委員」っていうのがありましたけど、これは8月に平和公園に贈る千羽鶴のマネジメントをしたり、課外学習として慰霊の碑を回るスタンプラリーみたいなものの栞を作ったりする係です。学ぶのは重要です、でも、なんだよって思うでしょ。
長田 平和なんとか委員みたいな形でちゃんと「仕事」を与えられるんですね。鶴も、「やれ」って言われて折らされてると僕は思ってるんですよ。
小山田 「1人10羽ね」とか言われてね。
長田 そうそう。どれくらいの数の子が真摯な気持ちで……。子供だけじゃなくて、大人になったらちゃんと投票に行ったほうがいい。テンプレート化って怖さがありますよね。「これが明日の平和へ」なんて言っても、あんな折り鶴で紛争止まんないもん。小山田さんがおっしゃった通り、もっとすることあるでしょとは思いますね。「みんな選挙行こう」「興味もとう」の上に、余力があれば「鶴織ろう」みたいなことですもんね。
小山田 そうそう。
長田 無関心の恐ろしさについて言うと、僕、18歳で上京して、8月6日に当然のように1人黙祷していたんですけど、その孤独さにすごく怒りを感じた記憶があります。広島から新幹線で4時間移動するだけですけど、東京って8月6日だろうが普通の日常なんですよ。もうNHKぐらいじゃないですかね、6日、9日、15日に「今日そういう日ですよ」ってやってるのは。僕、上京したてのとき、かなり衝撃を受けました。悔しいなって思ったり。そういう思いはやっぱり東京にいてずっともっています。広島の原爆が「古典」みたいな……。
小山田 古典。
長田 古典。風化し始めてて、もうよそ見できてしまっているぐらい。だって古典なんだもんって。今もいろんなところでめちゃくちゃなことが起こってますよね。
小山田 うんうん。平和公園にしても、みんなあそこで花見してますからね。私も会社員時代あそこでしてましたけど。そういう気持ち悪さはありますよ、墓地で野球するのもあそこで花見するのも。