「穴掘りとやら」

 ぼくは、昔からよく穴を掘っていました。

 地面さえあれば穴掘りは可能なので、どこでもやっていました。

 学校の砂場の穴掘りももちろんしましたよ。でも、なにかがちがう。ざらざらした砂場の砂は、人工的で固さがなく、どんどん掘れるのはいいですが、うーん、なんていうのかなぁー、どうも手ごたえがない。学校では友達がいるので、一緒になって掘った穴に水を入れて、井戸を作ったり、みんなでガラクタを持ち寄って、それらを四角い缶に入れ、深く掘った穴に埋め込み、タイムカプセルだー! 大人になったら開けようね、わーい! というのにもなぜかしっくりこず、掘ったことでできる盛り土で山を作り、トンネルを掘り、穴にどっさり水を流し……、他の友達は大いに盛り上がったりして、挙句の果てには誰かを穴に落そうぜ、へへへ、ぐひひひ、よっしゃ! でっかい穴作ろう! 落とし穴だ! 

 ……はあ……、ぼくは違う……違うぞ、こんなのがやりたいのかな。ってなワケで、せっかくの穴掘りが、みんなとやるとなぜだかどれもこれも、ぼくにとって予定調和な遊びに思えて気分が昂らなかったのです。

 遊びは遊びでも、なにかもうひとつ独特の感覚が欲しい。

 その時気づいたんです。ああ、ぼくは穴掘りは穴掘りでも、ぼくの穴掘りがやりたいんだ。じゃあぼくの穴掘りってなんだろう、とりあえず掘ってみよう。ひとまず森にでも行ってみよう、やっぱり掘るなら自然の上でしょ、土は土でもいろいろあるしね。静かな森の中でひとり、黙々と穴を掘るぼく。掘れば掘るほど、気分は不思議と安らいでいきます。虫がでてきたり、昔誰かが捨てたであろう古い缶のゴミだってでたりしますが、そんなのよくあること。気にしたらきりがないです。

 ただ、あんまり深く掘りすぎるのも疲れますし、なにより深いところの土は頑強で固く、ぼくのたいしたことない腕力では、あるところ以上は掘り進められません。まあ、それでいいんです、べつにトンネルを掘りたいわけではありませんからね。あくまで、ぼくの穴(そう思っているのはもちろんぼくだけなのですが……)がいいんです、それが楽しいのです。時間などあっという間に過ぎていき、作業は次の日に持ち越されることもしばしば。せっかく途中で放置しておいた穴が、雨でぐちゃぐちゃになってしまったこともあります。

 まあ、なんにしても、ぼくは穴掘りが好きなのです。だから、飽きないし、面白い。穴を掘るという行為は、一見単純なことに思えるでしょうが、自分の工夫しだいで、意外とマンネリ化しないからやめられない。誰かを穴に落したいわけじゃなく、宝物を埋めたいわけじゃない、なんならお宝を掘り当てたいわけじゃもちろんない。ただ、穴を掘る。ぼくなりの適度な感覚で、誰にも見せるわけでもなく。それでぼくは十分楽しいのです。

 穴掘りは孤独な作業。いや、そんなストイックな感じじゃなく “ひとり” の作業。あーでもないこーでもないと、穴を掘りながら楽しみつつ、ときどき工夫も凝らして、穴の形、深さ、穴の側面をフラットにきれいに削り取る、など、荒業なりにも細部にこだわっていく、愉しい作業。そこでぼく、フッと気がつきました。ああ、ぼくの絵本作りもおんなじよーなもんだな、ああ、そうか、小さいころからたくさん穴掘りしてきたワケだけど、今は絵本を作る、描く、というカタチがぼくの思う、そして、ぼくの好きなやり方の、穴掘りにそっくりなんだということに。そしてきっとこの先もおそらく凝りもせず、まだ絵本を描き続ける(穴を掘り続ける)んだろうな。だって好きなのですからね。幼少期との違いという意味では、作った穴を(つまり絵本を)誰かに見せている、ということぐらいですかね。と、ハッとなったりする今日この頃なのです、はい。

長田真作